「いつもの猫活 スピンオフ」
🐈ある市営住宅での猫活④🐈
当時の悲しみと現在の喜びと
現在、少しずつ活動も進み、協力してくださる方も増えつつあり、何年か前、物別れに終わったときのことを思うと隔世の感があります。
数年前に話は遡ります。もともとこのエリアは外猫が多くいる地域。その話を聞き、自治会に「避妊・去勢手術を行っていきませんか」と提案したことがありました。
当時の役員さんは提案に承諾してくださり、これからどのように進めていくかと思案している最中のことです。
下調べをするために敷地内の猫の状況を見て歩いていると、後ろ足のちぎれた猫がいるのを発見。
それはバス通りを挟んだ町内にいた猫でした。
なぜ、それがわかったかというと、バス通りを挟んだ町内で、町内の方々数人と地域猫活動を少しずつ進めているところだったからです。
その場所に、この後ろ足のちぎれた猫がどこからかやってきて、また姿が見えなくなってしまったため、どこへ行ったのだろうと心配をしていた矢先のことでした。
バス通りを渡ったこの市営住宅にきているところで会えたのは本当に偶然。
「今、捕まえないとどこかに行ってしまう・・」いてもたってもいられず役員さんのお宅に行き、「まだ下調べの段階ではあるけれど足を怪我した猫がいるので捕まえます」と報告。
了解を得て捕獲器を置いていると、住人の誰かが気づき、「猫にエサを与えてはいけない」と言ってきました。
この猫は捕まえて連れていく、ここに帰ってくるわけではないので捕まえさせてほしいという事情を説明してもダメという。
捕まえることはエサを置くことだからダメだという理由でした。
けれども私は捕獲を強行。足のちぎれた猫を保護しました。
後日、自治会の会議において保健センターも同席し避妊・去勢手術の成果などについて説明をしましたが、「エサはやらない」と主張する住人の反対により、このときの提案は沫と消えてしまったのでした。
あのときから時も経ち、社会情勢はもちろん、人の気持ちも変わってきたのでしょう。名古屋市のなごやかキャットサポーター制度という殺処分ゼロに向けた取り組みも、じわじわと浸透しつつあります。
猫問題は、人と人との問題です。よく、皆さんは「野良猫」と言われるのですが、野良猫という生き物が、どこからか湧いて出てくるわけではありません。元をただせば、人間が原因です。引っ越すために飼い猫を置き去りにしていったり、飼えなくなった、飽きたから‥‥そういった理由でも人間は飼い猫を平気で棄てます。昨日までご飯をもらっていた生き物が、ある日突然外に放り出されて、必死に生きていかねばならなくなります。当然餌がなければゴミを漁ったりもします。
私たち人間の罪は深いと思っています。だからこそ、地域の問題は地域で少しでもよりよくなる方法を探り、活動することが大変意義があることだと感じています。
一人ひとりが、自分の半径100m範囲のことを気にかけることができたら‥.住みよい街になっていくように思います。
それは猫問題に限らず、地域の子供たちのこと、ゴミのこと、すべてにいえることだと思います。半径100m、なにか気づいたこと、できることを自分なりにやっていけるのではないか、そんなことを猫の活動を通じて思ったりしています。
続く